まさか自分が適応障害の診断を受けるなんて - 加賀百万石ですが何か?

まさか自分が適応障害の診断を受けるなんて

ひとりツール・ド・能登中の輪島での写真です。

この写真を取っていたときは能登半島の自然の雄大さの前で,

「転勤なんてちっぽけなことで悩むなんてアホらしいな」

とか

「人生何だかんだなるようになるでしょ」

とかかなりポジティブに今後の人生を捉えていました。

しかし転勤後。

まさか自分が適応障害の診断をされることになるとは思っていませんでした。

正確にいうと,適応障害の診断をされるくらいまで仕事で追い込まれることになるとは思っていませんでした,という感じでしょうか。

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自分をどう認識していたか

適応障害になるまで追い込まれるとは思っていなかったっていうのは,別に自分のことを優秀だと思っていたとか,そんな理由ではないです。

むしろ人よりも要領は悪くて仕事は遅いし,今まで仕事で出してきた結果も中途半端なものばっかりだし,特別やる気がある訳でもないし。

何かと劣等感を覚えていた方です。

逆に競争心がある訳でもないので,悔しいとも思っていませんでしたが。

ただ,人並み程度の仕事は何だかんだこなしてきたように思っています。

なので,こんなに追い込まれることがあるだなんて想像もしていませんでした。

適応障害以外の辛さ

自分が追い込まれていったときの様子は,自分の中での整理のためにもいずれ詳しく書ければいいなとは思います。

ただ,今回メンタルが壊れてきたときに色々調べていて,自分の中ではっきりと分かったことがありまして。

それは,自分は「アダルトチルドレン」何だろうなということです。

アダルトチルドレンがどういうものかは,ググって頂いた方が詳しく分かると思いますので,ここで詳しくは書きませんが,ざっくりというと「自我が無い人間」という感じだと思ます。

親に用意されたレールをただただ真面目に生きてきたり,周りの人間の様子ばかり気にして生きてきた人は,いざ社会に放り込まれて自分で物事を判断することが求められるようになると,どうしたらいいのか本当に分からなくなります。

今まで僕自身も,ADHDだとか発達障害だとか何かそういう傾向はあるだろうなーくらいには思っていたのですが,アダルトチルドレンというものを知った瞬間に一切の違和感なく「あ,自分はこれだな」と納得できました。

「アダルトチルドレン」という言葉からは,むしろ努力不足でしょ?とか自分の責任でしょ?と思ってしまうような印象を受けるかもしれませんが,当事者からすると本当につらい性質なんです。

人生に絶望するといっても大げさではない,そんな性質なんです。

僕も自分がアダルトチルドレンなんだと思い知らされたときも,今も本当にどうしたらいいのか全く分かりません。

これからの人生,ずっとこの悩みを背負っていかないといけないのかと思うと,死んだ方が楽なんじゃないかと。

そう思うことも一度や二度ではないです。

これからどうやって生きていこうか

今回適応障害になったこと自体も本当にしんどいことでした。

よく言われる「自律神経が乱れる」ってこういうことなんだなっていうのがよく分かりました。

でも,本当につらかったのはアダルトチルドレンだということが,自分の中で何の疑いもなく受け入れることができてしまったという事実です。

そして,これからの人生,ずっとこの辛さを背負っていかないといけないのかとう絶望が本当に辛いです。

自分に対する自信もなくなったし。

ホントこれからどうやって生きていったらいいんでしょうね。

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