今日の多摩川は綺麗でした。本当は犀川とかの写真を入れたいところですが,それができないのが転勤中の辛さです。
この記事は多摩川河川敷で書いてみました。
外で記事を書くのは初めてでしたが,家に引きこもって書くよりも色々頭が回る気がします。
今回は親子の関係について,子供側の目線で思ったことを記事にします。
特に,親の立場の方に読んでもらえると嬉しいです。
親ってどんな存在?
みなさんにとって親とはどういう存在でしょうか。
「尊敬できる人」
「無条件に自分を受け入れてくれる人」
「家族とはいえ何となく合わない人」
どういう存在かは人によって様々だと思います。
僕にとっては,
「怖い人・怒らせてはいけない人」
という表現が一番しっくりきます。
こう書くといつも怒ってばかりいた親のように思うかもしれませんが,少なくとも表面的には優しくて厳しい,普通の親らしい存在だったと思います。
それなのになぜ怖い人なのか。
僕の親は,
「親の言うことは正しい」
というスタンスで子育てをしていたように僕には感じました。
おそらく,親自身はそういう意識はなかっただろうとは思いますが。
そのため小さい頃の僕は,
「親が怒っているなら悪いのは僕なんだ」
「親が言うことはやるべきことなんだ」
と感じていました。
例えば「塾に行ってみたらどうか」は「塾に行きなさい」と言う風に僕の中では変換されます。
特に,最もその影響が出たのは受験する大学を決めるときでした。
センター試験が終わって受験する大学を決めるとき,最初は僕は地元の大学を受けるつもりでいました。
しかし,家族で話しているときに父親がポロッと,
「お父さんはこっちの大学の方がいいなぁ」
と言ったわけです。
その言い方は,普通に考えれば特に強制するような言い方ではなかったのですが,親の言うことは絶対だという考えの中で僕は育ってきたので,
「あぁ,親はそっちを受けろと言っているんだな」
と思ってその大学を受験することにしました。
僕は1年浪人していたので,その分余計にお金の負担をかけてしまったと言う負い目もあって,反発することも出来ませんでした。
自己肯定感がない人間になる
こういう人間に育ってしまったら,大人になってからも大変です。
このタイプの人間はとにかく自己肯定感がありません。
「自分には価値がない。だから自分の意見なんて言う必要はない。」
「自分のやることには必ず間違いがあるはずだ。」
こういう考え方をする人間に育ちます。
そうすると,会社などの社会組織,友人との人間関係など,あらゆる場面で孤独になります。
表面上はそつなく生活しているように見えても,本当に信頼できる人間は多くなく,すべてを自分で抱え込んでしまうことになります。
気分を変えようと外に出てみても,夫婦,親子,カップルなど,信頼できる人間関係を築けている人たちばかりが目に入り,さらに自分の駄目さを認識せざるを得なくなります。
こうなると,本当に生きることが辛くなります。
未来に希望を見出せなくなります。
かと言って,自分が死ぬとそれはそれで親,兄弟を始め色々な人に迷惑をかけることになるので,死ぬことさえもできません。
生きる希望がないのに死ぬことも許されないというのは本当に辛いです。
おまけに,その束縛は誰かのせいというわけではなく,自分が無意識にある種の本能のようなものとして行ってしまっているものです。
そのため,辛くなってしまっているのは自分に原因があるのだということは分かっています。
分かっているのですが解決できないんです。
どうしてこんな人間になってしまったのか。
正解は分かりませんが,おそらく子供の頃の育ち方にあったんだろうと僕は思っています。
僕の家では,「何かができたら褒めてもらえる」ということが多かったと思います。無条件に褒めてもらえるということはあまりありませんでした。
例えば,
「テストの点がよければ褒めてもらえる」
「通知簿が良ければ褒めてもらえる」
「大会で入賞すれば褒めてもらえる」
などです。
そうなると,いい成績,いい結果,賞などに価値があるのであって,自分が何かをすることに価値があるわけではない,つまり「自分自身には価値がない」という認識になっていきます。
そうすることで,僕のような自己肯定感の無い人間が出来上がったのだと今は思っています。
育児中の方,これから親になろうという方には,親の無意識な発言や考え方というのが大きく子供の性格・考え方に影響するのだということは頭の片隅程度には置いておいてほしいと思います。
そして,親というのは無条件に自分の子供を受け入れる存在なんだ,だから安心して自分らしく生きていけばいいんだ,ということを子供には実感させてあげてほしいと思います。