人を批判するなら,まずは自分を批判してからにしなさい

最近ちょっとTwitterの方で感情的になったブチ切れ案件があったので,経緯と言いたいことをまとめてみました。

結局のところ言いたいことはタイトルにある通り,

  • 自分の意見は中途半端でもいいから積極的にドンドン発信していけ
  • 批判するときはちゃんと調べてからにしましょうね

ということです。

ブチ切れの経緯

Twitterでこんなツイートを見かけたのが発端です。

ブログの記事を読めば簡単に分かることですけど,この記事が言っている「偏差値」ってのは学力とは一切関係ない,「社会における偏差値」みたいなものを表現しているだけなんですよね。

それなのに勝手に学力における偏差値のことだと誤読して「終わってる」とか「クソ」とか表現しているのになぜか腹が立ったんですよね。

ちなみのこのNoriakiOshita(@whisponchan)さんは,機械学習関連の記事なり何なりをツイートされているかたで僕もフォローしています。

今回の件に関しては感情的になって申し訳ないとは思っていますが,普段のツイートなりRTなりは役に立っているので有難い人です。

で,普段であればそんなに反応しないのですが,今回に一件に関しては,

  • 僕も曲がりなりにも同業界(?)で仕事をさせてもらっている
  • その同業界の人が勝手な解釈から他人のことをボロクソに言っていた

という辺りが祟って無駄にイラっと反応してしまったのかもしれません。

正直なところ,絡みに行く必要はまったくないことですし,無駄と言えば完全に無駄でしかないのですが,何となく反応せざるを得なかったの反応してしまいました。

で,これに対する反応が,

こんな感じでして。

批判をしているという流れの中で「定義」って言葉を使う以上,そこに絶対の自信はあるんでしょうね?と思いまして。

これだけであればそこまでどうってことも無かったのですが,この後に続いた一言が僕の中でブチ切れ案件化したきっかけでした。

このときは正直,

「自分がアホなだけなのに,よく人のブログにケチ付けれるな」

「『何言ってんだか』なのはそっちだろアホが,中学生からやり直せ」

といった感情しかなかったですね。

で,

に対する反応が

という辺りでこっちの頭の中は「?」となった訳ですよ。

いや,煽りでも何でもなく純粋に「この人は何を言ってるんだ…?」っていう疑問しかなかったんですよね。

最終的に判明したところによると「偏差値=学力偏差値」だと思っていたみたいなので,それを踏まえればまぁこの発言の意図も分からないでもないですが。

そんでその後に,

っていうのがあって,「そもそも喧嘩を(ブログを書いた人に)売ったのはそっちだろう」というのでまたイラっとしまして。

まぁ全然関係ない僕が出しゃばる意味は本当に分からないんですけどね。その辺は自分でも分かってはいますが「何言ってんだか」とか「意味不明」とまで言われたら沸点の低い僕はさすがに黙っちゃおれんということで,もう止めらんないわけですよ。

という感じでブチ切れ度が最高潮に達してきたのですが,急遽トーンダウンしていくことになります。

この辺りからマジで論理が全然分からなくなってきまして。

100人の中で7人,偏差値65という表現からどうしてそれがイコール学力偏差値になるのか。

いや,ホントにマジで分からなくなってきまして。

本気で自分が日本語を理解できていないのかなとか色々心配になった訳ですよ。

いや,それはあってる。

世間的には偏差値はほぼ学力偏差値の意味で使われることが多いですよ。

今回の一件には何も関係ないけど…。

んで,このツイートをみて「あーーーーーー!なるほどなるほど!そういうことね!」となる訳ですよ。

偏差値の意味を完全に間違えているというか,狭い意味でしか捉えていませんね,と。

結局のところ,偏差値論争についてはエクセレントな回答が飛んできました。

そこからはこんな感じで「そもそも偏差値って何よ?世界標準的なものはあるの?」みたいな平和な(だと僕は思っていた)話になりまして。

まぁここでもちょっと気になることはあったんですが,それはツイートはしませんでした。

結局この後この記事には書くんですけど。

ちなみに,その道のプロの方からのコメントはこんな感じでした。

こういうときはTwitterは頼りになりますね。プロから簡単にコメントが飛んでくる。

念のため断っておきますと,普段であれば偏差値の定義を勘違いしていたなんてことはめっちゃどうでもいいんですよ。

違っていたと気付いたら直せばいいだけですし,間違うこと自体は当然自分自身を含めて誰でもあることなので。

ただ,人を批判するとき,今回は特に「終わってる」とか「クソ」といったように批判でも何でもなくただの悪口を言っているような状況だったので,「絶対に自分には間違いがないんでしょうね?」とこっちも過剰に反応した訳です。

で,結局言いたいことは何なんよ

というところにやっと入っていく訳なんですが,3つ言いたいことがありまして。

まずひとつめはタイトルの通りなのですが,人を批判するときはまずは自分の解釈が間違っていないかをちゃんと確認しましょう,ということですね。

もちろん相手(批判される人)に対する敬意という意味でもちゃんと調べておくことは重要だと思うのですが,それ以上の理由として「そうしないと建設的な議論にならない」ということなんですね。

今回の一件でいうなら,結局のところは「偏差値の認識が違っていた」というだけなんですね。

で,それも一方的に向こうが悪かったという気はあまりなくて,むしろ偏差値って確かに厳密な定義が怪しいっちゃ怪しいよねというところにそもそもの問題があった訳ですね。

なので,別に「意味不明」とか「誤読」とかお互いに煽るような表現でイライラしなくても,「偏差値って要するに何よ」っていう話が出来れば一発で解決だった訳ですよね。

ちなみに,一連のツイートの中で「誤読」という単語はあえて使っていました。こっちも譲れないところは譲れませんよという些細な意思表示という意味で。

さらに言えば,冒頭のブログ記事に対して「終わってる」とか「クソ」っていう前に,そもそも偏差値って何かを一度ちゃんと確認していれば,こんな争いにはならなかった訳ですよね。

自分の持っている知識の範囲内でしか人は物事を考えられないので仕方ないと言えば仕方ない気もしますが,だからこそ人に対して批判をするときは「自分は正しいのか」ということをちゃんと確認する癖を持つようにしたいものですね。

ちなみにですが,この批判するならまずは云々というところは,アカデミアの中ではこんな感じの人が多いんじゃないかなーという印象を持っています。

はい。そして,言いたいことの2つめは「定義」ってめっちゃ大事なんよ,ってことです。

ぶっちゃけ煽り半分で言ったことではあるんですけど,もう半分は結構真面目に言っていることでして。

ここでは数学・物理って言っているけど,科学全般に当てはまることだと思うんですよね。

科学ってある意味で過去の研究の蓄積でしかなくて,それぞれの研究が何をしてきたのかっていうのをちゃんと理解していないといけないと思うんですよ。

そして,その内容を理解するための一番重要なことって「論文等の中で使われている言葉がどういう意味で使われているのかをちゃんと確認する」ってことだと思うんですよね。

そうしないと,意味不明な議論をしてしまったり,何の成果もない研究を自分がしてしまうことにもなってしまうので。

なので,多少煽るような言い方にはなってしまいましたが,僕としては結構本心で思っていることで,「定義」という言葉を軽んじる人は科学に携わるのはやめた方がいいんじゃないかと思う次第です。

これは今回の一件とは関係なく,これから研究者の道に進もうと思っている学生とか,大学院に進もうと思っている人たち全般に向かって言いたいことです。

そして最後に3つめですが,

ということですね。

これはこのツイートを見て感じたことです。

特にこの中の2つめの質問です。

今回のもともとの発端は偏差値の意味の誤解だった訳ですが,僕との論争の問題点は冒頭のブログ内の「偏差値」を「学力偏差値」と捉えることが妥当なのか否か,というところです。

Oshitaさんは「100人の中の7人」と「偏差値65」というところから,ブログ記事が言うところの偏差値は学力偏差値を意味していると解釈されているようです(と僕は解釈しています)。

ちなみに,これまでの経緯を見てもらえば予想は付くと思いますが,僕は偏差値は一般的な概念であって学力を表さない場合もあるという立場です。

それを確認すべきならば,

「(得点 − 平均点) ÷ 標準偏差 × 10 + 50は学力偏差値と呼ばないのか?」という問いは意味がないのは分かると思います。

この問い方だと,「その計算式は確かに学力偏差値と言える」という回答もあり得てしまいます。この場合「その計算式を使うが学力偏差値を表さない場合もある」という回答が漏れてしまうこともあり得ますからね。

なので,僕が思うところの正しい問いは,

「平均を50,標準偏差を10と規格化すると,それは学力偏差値と完全に等価なものになるのか」

という感じですかね。日本語が下手くそで分かりにくいですが。

「平均を50,標準偏差を10と規格化する」という条件が,その偏差値が学力偏差値となることの十分条件なのかというところが,今回の論争に対して解決すべき課題なんじゃないかと思います。

大学で研究室に配属されたばかりの学生などは,研究というものは,

  • 自分で課題を見つけて
  • その課題に適切な問いを設定して
  • その問いを解くことだ

というようなことをよく言われるんじゃないかと思います。

そんな訳で,科学の世界にいると「適切な問いを設定する」っていうのはとても大事なことなんですよね。

しかもそれって,アカデミアの領域だけではなくて普通に働くときにも活かすことができるスキルですし。

もちろん「じゃあ自分はちゃんとできてるのかよ」と言われたらそれ程自信はないですが,課題に対して適切な問いになっているかというのは,普段から気を付けているところではあります。

まとめ

という訳で,スタートは完全に僕が勝手にブチ切れて勝手に絡んだからという格好悪いものでしたが,時間が経って冷静になってみると得られることもいくつかあったなということで,Oshitaさんには感謝してます(こんな閉じた空間でいうのはそれはそれでズルい気もしますが)。

ちなみに,僕が今回の一件でここまで感情的になったのは,自分も学生時代に軽率に人の批判をしてしまって,その結果ブチ切れられたということがあったということがモチベーションになってるのかもしれません。

まぁ当時のことは,安易だったとはそれ程思ってはいないのですが,それでも言葉足らずで言ってしまい結果的に関係者に不快な思いをさせてしまったので,それ自体は反省しています。

あと,根拠のない批判は将来的に相手を委縮させるだけになってしまって,社会全体として何の価値も生まないと思っています。

如何せん,僕自身が周囲の目の伺って生きてきたタイプで,「自分の意見を言うのではなくて,みんなが納得する意見を言うのが正しい」と思って生きてきました。

ただ,そんな生き方をしていても何も楽しくないし,自分がいる意味もないということに結構な年齢になってやっと気付けるようになってきました。

そんな思いをする人がひとりでも少なくなって欲しいと思うのもあって,人を委縮させるような批判は絶対にするべきではないと思いますし,そういうことをしている人を見かけるとどうしてもキツく接してしまうんだろうなと思います。

という訳で思ったことをバーッと書いてきましたが,最後にちょっとだけふざけ半分に煽っておくなら「学力偏差値に捉われていて不幸というようなことを言っていましたけど,学力偏差値という言葉に捉われていたのはご自分でしたね」という感じでしょうか。

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