今回はロードバイクとは関係無い話を書きたいと思います。
特に何かしらの結論をまとめようと思って書いた記事ではありませんので,中途半端に終わる感じではありますが,東京から地元へのUターン転職を考えたひとりの人間の思いというものを書いてみました。
今まさに転職活動をしている人,転職しようか悩んでいる人,転職だけでなく自分の人生や将来について悩んでいる人にとって,何かしら気付きになればいいなと思います。
学生〜入社まで
もともと僕は,大学院でデータ解析を行うような研究をしていて,アプリ開発などの経験は当然なかったのですが,何となくIT系って面白そうだなと思っていました。
そこでいくつか企業を回っている時に,当時流行り始めていた「ビッグデータ」というワードを知ります。
「ビッグデータってよく分からないけど,データの解析自体は好きだしやってみたいなぁ」
という安易(?)な発想で,ビッグデータ解析に取り組んでいて,たまたま内定を貰えたIT企業に入社しました。
転機
そのまま3年ほど働いていたとき,とあるきっかけで親会社に出向することになります。結局のところ,転職を考え始めたのはこの出向がきっかけでした。
僕は周囲の環境が大きく変わると,普通の人以上にもの凄くストレスを感じるタイプです。そのことがある種のエネルギーとなって,
「仕事って何だろう」
「本当に自分がやりたいことって何だろう」
というようなことを考え始めます。
また,もともと,
「3年経ったら今後の人生について一度真面目に考えみよう」
とは思っていて,ちょうどそのタイミングでの出向だったこともあり,この考えは加速することになりました。
今後の人生について考えると言っても最初は,「何をどう考えたらいいんだろう」という感じはありました。
ただ,「何のために自分は生きるのか」ということは良く考えることがあり,そこから派生して,
「これからの人生で,最悪なパターンっていうのはどういう状態だろうか」
ということがふと気になります。
つまり,
「どういう人生にしたいか」
ではなく,
「どういう人生は絶対に避けたいか」
という方向性で将来を考え始めることになります。(なかなか自分らしい後ろ向きな発想です)
僕はそんなに社交的な人間ではなく,都会にいてもその楽しさを享受できるようなタイプでは無いと思っています。基本的にひとりでいることが好きな(というか楽な)タイプなので,結婚なんかも多分できないんだろうなと思い,
「このまま東京にずっとひとりでいるのだけは嫌だ」
という結論に至ります。
もともと,いずれは地元に戻りたいという思いは持っていましたし,GWやお盆休み,年末年始なんかは基本的に帰省するくらいには何だかんだ地元は好きでした。
友人関係については,学生時代の友人は基本的に関東圏にいるので,今の楽しさを考えると当然このまま関東にいるのがいいのですが,
「みんないずれは家庭を持つだろうし,いつまでも気軽に遊べるわけでもないだろうし」
ということで将来的なことを考えると地元に戻る方がいいかなということになりました。
最も大きな転職理由は以上の通りですが,次のようなタイミングが重なったこともあります。
1.地元を離れてちょうど10年が経つこと
2.その年30歳になること
3.地元の企業で分析やAIといった求人が見つかったこと
そんなこんなで転職活動を始めてみたところ運良くその企業から内定を貰え,石川に戻ることが決まりました。
今までの人生の中で,将来のことを考えて現状を自分の意志で変えたことは初めてでした。高校は当時の学力で行ける範囲で一番良さそうなところにたまたま合格し,大学はそのときにこれまたたまたま好きだった科目が強い大学だという理由だけで選択しました。
大学の研究室選びも,そのときに一番好きだった分野の研究室にし,就職活動についても上述した通り,当時面白いと思っていたことを基準に何となく選んだだけでした。
そのため,将来を考えて進路を選ぶ(=変える)ということが始めてだったので,期待半分,不安半分という何とも複雑な気持ちで地元に戻ることになりました。
ちなみに,なぜ不安が半分もあったかというと,今まで自分で判断して決めたことはだいたい裏目に出てしまうことが多かったからですw
実際,結局また関東にいることを考えると「やっぱり…」という気がしなくもないです。
この決断が本当に良かったのか,正直地元に戻る当日まで葛藤はありました。
ただ,いざ地元に戻ってみると,地方特有の信号も車も少ないというロードバイク天国であったことから,仕事そっちのけでロードバイクにのめり込んでいくことになりますw
しかし,また関東に長期出張というか転勤になってしまってしまい,今でもこの転職という選択が正解だったのか間違いだったのかは分かっていません。
むしろ,余計に悩むようになっているような気もします。
結局,人生には正しい正しくないなんていうものは存在しないんでしょう。
生きる意味なんてものも無いんでしょう。
だから生きることに悩やむ人がいるんだと思います。
少し脱線しますが,僕の好きなゲームのひとつにファイナルファンタジーIX(FF9)があります。
※ストーリーのネタバレになりますので,ネタバレが嫌な方はこの記事の最後の行まで読み飛ばしてください。
なぜこのゲームが好きかというと,「生きる」がテーマになっているからです。
登場人物はみな,自分なりの生きる意味を探して旅をしていきます。その中で,主人公のライバルは,
「生きていることで生きる意味を求め悩むなら,すべてを無に帰せばいい」
という結論に至りますが,主人公はそこを,
「人を助けるのに理由がいるかい?(=生きることの意味なんて考えて何になる?)」
と軽々と超えていきます。
人によってどう解釈するかは異なるかと思いますし,何が正しいかを議論するつもりはありませんが,僕はこの主人公の考えは非常に好きです(ライバルの考えもそれはそれでアリだと思います)
僕は考えても仕方ないことを考える意味は無いと思っています。
そんなことで悩むくらいなら,どう生きたいかを考えることにエネルギーを使うことの方が重要ではないでしょうか。
地元に戻ることを決めたことの背景には,この影響もありました。
「どう生きたいか」ではなく「どう生きるのは嫌か」という感じにはなってしまいましたが。
以上,特にまとめはありませんが,こういうようなことを考えて人生を変える選択をした人間もいるんだなということを知ってもらえて,何かしらのきっかけになればと思います。