定例報告は毎回きちんと出ていたのに、納品物を一度も見ていなかった

運用保守の案件には、定期的に報告を出す義務がついてくることが多い。決められた周期で、決められた相手に、決められた内容を出す。地味な仕事だが、落とせば信用に響く。

その報告は、毎回きちんと出ていた。期日も守られていたし、中身に穴があるわけでもない。担当している本人は真面目にやっていた。手を抜いた形跡はどこにもない。

それなのに、最後になって全部を整理し直す作業が発生しかけた。理由は単純で、最終的な納品物を一度も見ていなかったからである。

目次

  1. 報告そのものに問題はなかった
  2. 「最終成果物は確認したか」と聞いた
  3. 中身が同じでも、器が違えば作り直しになる
  4. ズレていたのは終盤ではなく、最初の一回目だった
  5. 目の前しか見えなくなる人はいる
  6. 私も以前は同じだった
  7. 結局、意識の話に着地してしまった

1. 報告そのものに問題はなかった

先に書いておくと、定例報告の出来を責めたわけではない。

決められた周期で出てきていたし、書くべきことは書いてあった。指摘するところを探す方が難しい。定例のためのフォーマットとしては、完成していたと言っていい。

問題は、そのフォーマットがどこから来たのかだった。定例報告のために用意された器であって、最終的に納品するものとは何の関係もない。毎回それを埋めて、毎回それを出す。その繰り返しが、案件の終わりまで積み上がっていた。

積み上がったものは、そのままでは納品物にならない。

2. 「最終成果物は確認したか」と聞いた

こちらから聞いたのは、二つだけだ。

最終成果物の形式は確認したか。そして、普段の報告がその形式に沿っていれば、最終成果物は自然とできあがるのではないか。

答えは、確認していない、だった。悪びれるでもなく、隠すでもなく、単純に見ていなかった。見る必要があるという発想が、そもそもなかったのだと思う。

最後に何を出すのかが決まっている仕事で、途中の記録の形を先に合わせておく。それだけのことなのだが、その「それだけ」は、最後に出すものを一度でも見ていないと絶対に出てこない。

3. 中身が同じでも、器が違えば作り直しになる

厄介なのは、書かれている中身は間違っていないところだ。

対応した内容も、期間も、数字も、必要なものは揃っている。足りないから作り直すのではない。器が違うから詰め替える。それだけのために、案件の終わりに人が張り付くことになる。

新しく何かを生み出す作業ではないので、詰め替えている間、価値は一ミリも増えない。増えないのに時間だけが確実に減る。しかも減るのは、たいてい余裕のない時期の時間である。

最初に器を合わせておけば、最後は集めて出すだけだった。同じ材料で、同じ結論で、かかる手間だけが違う。

4. ズレていたのは終盤ではなく、最初の一回目だった

表面化したのは終盤だが、仕込まれたのは最初の一回目である。

一回目の報告を作るとき、最終的な納品物を見ていれば、そこで形は決まっていた。見なかったので、その形のまま二回目も三回目も進んだ。以降は、真面目にやればやるほど、ズレたものが正確に積み上がっていく。

だから、途中で「順調です」と報告されても意味がない。本人の中では実際に順調なのだ。決めた通りに、期日通りに進んでいる。何を基準に順調なのかが最初にズレているだけで、進捗そのものは嘘ではない。

これは進捗確認では引っかからない。出てきたものを見て、こちらが最後の形を思い出さない限り、終わりまで表に出てこない。

5. 目の前しか見えなくなる人はいる

経験不足はあると思う。運用保守の一連の流れを最後まで通した経験があれば、最初に納品物を見る癖はついていたはずだ。

ただ、経験だけの話でもない気がしている。本人の性質として、目の前のことしか見えにくくなるところがある。今週出す報告に集中しているとき、半年後に出すものは視界から消えている。集中できる人ほど、そうなりやすい。

だから、サボりだと責める気にはならなかった。手は動いているし、期日も守っている。ただ、見ている範囲が狭い。狭いまま全力で走っているので、方向がズレていることに自分では気づけない。

指示の受け取り方がずれる話は以前にも書いたことがあって、「これくらいでいい」を下限ではなく上限だと思っているでは、こちらが下限のつもりで置いた線が上限として読まれる話をした。今回は線の読み方ではなく、そもそもどこに線があるのかを見ていない話である。近いようで、原因は別のところにある。

6. 私も以前は同じだった

強く言えないのは、自分も以前は同じだったからだ。

目の前の作業をこなすことで手一杯だった時期があって、そのときに最終的な成果物の形を先に確認していた記憶はない。言われた範囲を、言われた通りに、期日までに出す。それで仕事をしているつもりだった。

だから、指摘しながらも、その気持ちは分かってしまう。全体を見ろと言われても、全体が見えていないから目の前を握りしめているのであって、順番が逆なのだ。

分かるからこそ、どう言えば伝わるのかが分からない。自分がいつ、何をきっかけにその癖を持てたのかを思い出せない。思い出せないものは、手順として渡せない。

7. 結局、意識の話に着地してしまった

今回渡せたのは、俯瞰的な視点を持ってほしいという言葉だけだった。

最終成果物を先に見ること。近視眼にならず全体を眺めること。言っていることは間違っていないと思うが、これを聞いて明日から視野が広がるなら苦労はしない。

チェックリストにすれば解決するのかというと、たぶんしない。「着手前に納品物の形式を確認する」という項目を作ったところで、目の前しか見えていない人はその項目もまた目の前の作業として消化する。形式を確認したという事実だけが残って、確認した内容が途中の作業に反映されない。それでは何も変わらない。

自分で決める癖の話は降格していくのは、いつも『自分で決められない人』だったにも書いたが、今回のものは決断以前の、どこを見ているかという話である。視線の置き場所を人に移植する方法を、私はまだ持っていない。

今回は指摘が間に合ったので、手戻りは実際には起きなかった。ただ、間に合ったのは私がたまたま最後の形を思い出したからで、仕組みで防いだわけではない。次も同じように気づける保証はどこにもない。

同じことを働く側から書いた記事として、最後にやり直しになる人は、最初に納品物の形を見ていないも用意した。指摘される側に立つとどう見えるのかは、そちらに書いている。