以前の私は、放任主義の部署で仕事をして、最終的に休職しました。当時は「放任主義では人は育たない」とかなりはっきり書いています。
今は立場が逆になり、部下の仕事を見る側です。自分がされたくなかったことをしなければいい。最初はそれで済むように思っていましたが、実際にはそう簡単ではありませんでした。
口を出しすぎると部下は右往左往し、さらに続けると何も考えなくなる。では任せればいいのかというと、それでは求める水準の仕事にならないこともある。今もこの間で迷っています。
目次
- 放任される側だった頃は、答えが単純に見えた
- 口を出しすぎると、部下が右往左往する
- 何も言わなければ、仕事の水準が上がるわけでもない
- 段階ではなく、定期的に報告してもらう
- 大きな方向性は確認し、細かい進め方は任せる
- 任せることと放置することの境界は、今も分からない
1. 放任される側だった頃は、答えが単純に見えた
私が放任主義の部署にいた頃は、客先に一人で常駐し、自信のない判断を重ねていました。身近に相談できる人はおらず、自分の決定がほかの人の作業にも影響する。何が正しいのか分からないまま進める状態に耐えられなくなりました。
そのときのことは放任主義で人は本当に育つのか?に書いています。当時の結論は、放任して育つのではなく、もともと自分で動ける人が勝手に育っているように見えるだけだ、というものでした。
今も、その考えが間違っていたとは思いません。ただ、見る側になって分かったのは、放任しないことと、細かく口を出すことの間が思ったより広いということです。
2. 口を出しすぎると、部下が右往左往する
仕事の進め方に細かく口を出していたとき、こちらの言葉に合わせようとして右往左往している部下がいました。
本人なりに考えて進めていても、途中からこちらが手を入れれば、考えていた順番を組み直すことになります。さらに別の指摘をすれば、また向きが変わります。こちらは仕事を良くしようとしているのですが、部下から見れば、進むたびに行き先を変えられているようなものだったのかもしれません。
口を出し続けた結果、何も考えなくなってしまったように見える部下もいました。自分で決めても後から直される状態が続けば、最初から指示を待つようになっても不思議ではありません。少なくとも、こちらが仕事を進めるために出した指示で、相手が考える余地を狭めていたとは思います。
3. 何も言わなければ、仕事の水準が上がるわけでもない
では、細かいことは全部本人に任せればいいのかというと、それでもうまくいきませんでした。
口を出さずに任せた結果、出てきたものが求めている水準に届かなかったこともあります。本人が自分なりに進めたという事実と、仕事として十分なものができたかどうかは別です。
口を出せば右往左往する。口を出し続ければ考えなくなる。口を出さなければ、低い水準の仕事がそのまま出てくる。この三つを経験すると、「信じて任せれば人は育つ」という言葉だけでは何も解決しないことが分かります。
4. 段階ではなく、定期的に報告してもらう
今は、特定の段階で一度だけ確認するのではなく、定期的に報告してもらうことが多いです。
何段階目まで進んだら見る、と決めているわけではありません。仕事が続いている間に何度か状況を見て、大きな方向がずれていないかを確認します。細部まで毎回決めるのではなく、離れすぎる前に向きを確かめるための報告です。
ただし、報告が出ていれば安心できるわけでもありません。定例報告は毎回出ていたのに、最後の納品物を一度も見ていなかった例もありました。上司としてその場面をどう見たかは定例報告は毎回きちんと出ていたのに、納品物を一度も見ていなかったに、働く側が何を確認すればよかったのかは最後にやり直しになる人は、最初に納品物の形を見ていないに分けて書いています。
5. 大きな方向性は確認し、細かい進め方は任せる
今のところ多いのは、大きな方向性はこちらで確認するか、必要なら指示し、細かい進め方は本人に任せるやり方です。
何を目指すのか、最後に何を出すのか、今の進み方でそこへ着けそうか。そういう部分は定期的な報告の中で見ます。一方で、そこへ行くまでの細かな順番まで、こちらですべて決めることはしません。
これは育成方法として完成した答えではありません。少なくとも、放っておいて最後にまとめて直すことと、隣から一つずつ指示することの両方を避けるために、今はこの位置にいます。
部下が確認すること自体を止めるのではなく、自分の案と判断してほしい点を持ってきてもらう方法は、仕事で「正解だけ」を求める人が増える理由に分けて書いています。
6. 任せることと放置することの境界は、今も分からない
放任主義でつらい思いをした経験があれば、部下には同じことをしない上司になれる。そんなきれいな話にはなりませんでした。
放任された側のつらさは分かります。それでも、見る側になれば、どこまで口を出すべきかで迷います。助けるつもりの言葉で相手が右往左往することもあれば、任せた結果を見て、もっと早く言うべきだったと思うこともあります。
今の私が決めているのは、大きな方向性は一緒に見ること、細かい進め方までは奪わないこと、そして一度決めたら最後まで放置せず定期的に確認することです。
それで誰もがうまくいくわけではありません。ただ、任せることを「何も見ないこと」にしないための線として、今はそこに置いています。