最近いくつか記事に書いていますが、私は適応障害の診断が出て休職中です。今回は休職することになるまでの経緯を書いてみたいと思います。
ここに書いているのは、あくまで当時の私に起きたことです。同じような状態でも必要な対応は人によって違うので、診断や治療、休職・退職については、この記事だけで判断せず医療機関などへ相談してください。身近な人や会社には話しにくいという方は、厚生労働省の「こころの耳」から電話やSNS、メールで相談することもできます。
目次
1. 休職を決断することになった理由
今まで私は、何かストレスがあっても。あくまでも一時的なものでしばらく頑張っていればそのうち慣れて気にならなくなるだろうという考えで仕事をこなしてきていました。そのため自分が適応障害になったりだとか、休職することになるかもしれないとかは夢にも思っていませんでしたし、仮に休職したいくらいに疲れるようなことがあったとしても、自分から休みたいと言い出すなんてことは絶対にないと思っていました。特に、休みたいと言い出すこと(有給休暇などは別です)など、弱みを人に見せることは良くないことだという意識がありました。
そのように今まで生きてきた私が今回休職したいと言うことになった理由は「このままだと自分が壊れていくのが明確に分かった」からです。よく「急に涙が出てきた」とか「電車に飛び込んだら楽になるのにな」とか考える人がいるという話は聞いたことがあると思いますが、今回休職に至るまでの経験の中で、これらが本当に起こり得ることなんだということを実感しました。
私の場合は特に、急に涙が出てくる現象が頻繁に起きるようになりました。昼休みの食事中や会社から自宅まで帰る途中など、気を抜いてもいいタイミングにボーっとしていると急に涙が出てきました。ひどいときには鼻水も出てくる本気泣き(?)もありました。そして、本当にしんどいときというのはまっすぐ立っていられないんですね。会社から家に帰ってシャワーをするときも、本当に立っていられないのでお湯がない浴槽の中で座り込みながら頭を洗ったりしていました。
そういうときは本当にしんどいはしんどいのですが、一方で自分のことを客観的に見ている自分がいることも分かります。「浴槽の中に座って頭を洗っているこの状況をもし人が見ると、明らかにおかしいやつなんだろうなー」とか、意外と冷静な部分もあります。
たまたまというか運よくというか、「まだ冷静に自分を認識できている状態なんだな」ということを自覚できたために、「あ、このままだと自分は壊れていくな」という判断ができたんだろうなと思います。もし、この時点で冷静に自分を見ることが出来なくて、「自分がダメだからもっと頑張らないといけない」というような判断をしていたら、おそらく今頃はもっと大変なことになっていたと思います。
2. どうやって逃げたか
ではどうやって逃げたかということになりますが、これに関しては本当に運がよかったと思います。先ほども言いましたが、私は自分から「しんどい」「休みたい」ということを言えないタイプの人間です。ただ、もともと金沢に戻るために転職して今の会社に来たのに、また転勤で関東に戻されることになったという状況を、私の上司も気にかけてくれていました。そのため、たまたま今の状況について上司と話す機会がありました。
通常であれば、たとえ相手から聞いてきてくれたとしても自分から弱音を吐くことはまずないです。特に相手が友人などではなくて会社の上司となればなおさらです。ただ、今回は本当にストレスが溜まっていたんだろうと思います。自分でも驚くくらい素直に現状のストレスについて上司に伝えていました。特に、「積極的にとは言いませんが、何かきっかけがあれば辞めてしまうかもしれないくらいにはストレスを感じています」と正直に伝えられたことが良かったんだと思います。
別に自分の要望を通すために強いことを言った訳ではなくて、このときはストレスで本当にそう思っていました。そこまで伝えることができたため、上司も深刻に受け止めてくれてその後の対応に入ってくれたんだと思います。
まず、上司の指示で産業医の方と面談することになりました。その面談では、とにかく早く辞めたい、今すぐにでもバックレてしまいたいくらいにストレスだと、現状を正直に話しました。
そうすると、産業医の方から心療内科の先生を紹介してくれて、その面談をした日にすぐに診療を受けに行くことになりました。そこでも現状をすべて話したところ、適応障害なのでしばらく休みなさいという結論になりました。翌日それを上司に伝えたところすぐに対応してくれて、多少の引継ぎはありましたがすぐに休職に入ることになりました。
3. 逃げた後はどんな調子か
現在、休職に入って少し経ったところです。心療内科の先生と話した時には、「今の環境に適応できていないだけなので、ストレス源から離れれば比較的早く戻るだろう」というように言われました。私自身、休職が決まればだいぶ楽になるんだろうなと思っていました。ただ、実際には、ボーっとしたときに無意識に仕事のことを考えてしまったときなどに、息切れがしたり緊張したりという症状がまだ起きることがあります。
精神的な病気は、一度ストレスから離れてしまえばすぐに良くなるだろうと思っていたのですが、意外と後遺症(?)が残っていることがあるんだなということが分かり驚きました。ただ、仕事のことが頭にないときは通常通りの生活を送ることができています。むしろ、通常通りすぎて休んでいることに対する罪悪感があるくらいです。せめて休んでよかったと後で思えるように、どういうストレスを感じていたのか、その中でも致命的にダメだったストレス源があったりしたのか、というようなことについて頭の整理をしたりしています。
整理してみると、今の会社にいる以上いくつかのストレス源はほぼ取り除けないだろうということが分かったりもして、今後どうしていくかというようなことまで考えないといけなくて、それはそれで色々と別のストレスがかかってきているような気はしますが…w
4. 本当に辞めたくてもまずはとにかく休むこと
本当に追い込まれているときは、とにかく1秒でも早く辞めたいと思っていましたし、IT業界に関わることはもう絶対に嫌だと思っていました。ただ、休職に入って少し落ち着いて考えてみると、考えがまた少し変わってきました。
まだ色々と整理している段階ではありますが、もしストレス源を取り除けるならこのまま復職しても大丈夫かなとか、転職するにしてもITに関係した仕事を続けるのは問題ないかなとか、多少冷静に考えられるようになってきています。もちろん、最終的にはやっぱりITはもう辞めようという結論に行きつく可能性もあるかもしれませんが。
今現在、本当にすぐにでも会社を辞めたいと思っている人も多いかと思います。私も、産業医と面談するように上司から指示が来たときは、まさに「もう、すぐにでも辞めたいです」というメールを上司に書こうか本当に悩んでいるときでした。
今振り返ると、あのとき必要だったのは、退職するか復職するかを一人で決めることではなく、まず「今かなりしんどい」と誰かに伝えることでした。私の場合は、上司に話したことで産業医との面談や心療内科の受診につながり、仕事から離れることができました。
会社に直接話すのが難しければ、家族や友人、社外の相談窓口などでもいいと思います。相談先や必要な対応は人それぞれですが、とにかく一人で抱え込まないでほしいです。
本当に追い込まれていると伝えることは恥ずかしいことでも何でもありません。とにかく逃げることです。「このままだと自分が潰れてしまって業務が急に滞ることになるので対応が必要です」という報告をするだけです。「自分が倒れるかもしれないというリスクは報告したので、あとのリスク管理はちゃんとしてくださいね」と会社に放り投げてしまえばいいだけです。
以上、私が休職に至るまでの状況を書いてみました。もし当時の私と同じように追い込まれてしまっている方がいて、助かることの何かしらのきっかけになれればと思います。
この前後に書いたこと
心が折れたと感じた日のことは、心が折れた後の話に書いています。
休職してから同僚に申し訳ないと感じていたことは、どれだけ気にするなと言われても休職の罪悪感はなくならないに書きました。その後、少し落ち着いた頃に仕事のメールを読んでまた動悸が出た話は、適応障害の後遺症は意外と根深いかもしれないに続きます。
その後はいったん復職したものの、数か月で退職し、最終的にはAIベンチャーへ転職しました。そこまでのことは、休職後に復職・退職・転職を経験して考えたことで振り返っています。
診断が出たときに何を思ったかは、まさか自分が適応障害の診断を受けるなんてに書いています。また、朝どうしてもベッドから出られなくなった日の行動については本当に会社に行きたくなくなった日に残しました。
追い込まれた原因の側については、いくつかに分けて書いています。客先に一人で常駐しながら放任主義の部署に置かれたことは放任主義で人は本当に育つのか?に、常駐そのもののきつさは客先常駐はストレスがヤバいにまとめてあります。仕事を優先し続けた結果として何が削られていったのかは仕事を優先すると人生が壊れることもあるです。
「合理的だから」という理由で無理を通されるタイプの理不尽については、その考え方自体への反論を合理的な理不尽は許されるのかに、実際にそういう上司とどう向き合うかを合理的な理不尽を強要してくる上司とどう向き合うかに書きました。
なお、休んでいる間に始めたことの一つがこのブログです。書くこと自体にどんな効果があったかはストレスなときこそブログを始めように書いています。