生きる理由なんて、本当に必要?

「生きる理由がないと人は駄目になる」という話は、わりとよく聞きます。目標を持て、使命感を持て、というのも同じ系統だと思います。

私はこれを一度、実地で確かめたことがあります。次の仕事を決めずに会社を辞めて、4か月弱ほど何の理由もない状態で生活しました。しかも、そのうち最初の2か月は本当に何もしていません。

結論から書くと、何も起きませんでした。駄目にもならなかったし、立派に生まれ変わりもしませんでした。今回はその記録です。理由がなければ生きていけないのかという問いに対して、私が出せる唯一の実データがこれなので。

目次

  1. 理由がない状態を4か月やってみた
  2. 起きたこと:ほぼ何も起きなかった
  3. 減っていったのは気力ではなく残高だった
  4. 「理由がないと生きられない」の正体
  5. 理由は、探しに行かなかった方から戻ってきた
  6. まとめ

1. 理由がない状態を4か月やってみた

20代後半に上司との関係で体調を崩し、適応障害で休職して、一度復職してから、転職先を決めずに辞めました。年末頃に退職して、次の会社に入ったのは翌年の4月中旬です。

このとき、辞めた理由の一つに「仕事を辞めて何かしないといけない状況に自分を追い込んだら、自分は一体どうするんだろう」という興味がありました。これは当時人生をSCRAP & BUILDだ!を書いたときには書いていなかったのですが、実際にはそういう気持ちがありました。

つまり、意図せずではあるものの、理由なし・目標なし・所属なしの状態で人間はどうなるかという実験を自分でやったことになります。多少の貯金があったので、しばらくは何も決めなくても生きていられる条件も揃っていました。

2. 起きたこと:ほぼ何も起きなかった

期待していた人には申し訳ないのですが、劇的なことは何も起きませんでした。

退職直後、というより有給消化に入ったあたりまでは、まだ多少の意欲がありました。本屋に行って面白い本を探したり、カフェで読書をしたり、役所で健康保険と年金の手続きをしたり。その程度です。

そこから先は、近所のスーパーとコンビニに行く以外はほぼ家にいました。能登や富山あたりにプチ旅行でも行こうかと辞める前は思っていたのですが、冬の北陸は本当に天気が悪くて、出かける気になりません。趣味のロードバイクも、この時期は走りに行けません。

結果として、ひたすら寝ていました。自分でも驚くほど寝られました。

面白いのは、焦りがなかったことです。休職していたときは2週間もすると「暇だし仕事に戻ってもいいかな」と思っていたのに、今回はその気配すら来ない。かといって落ち込んでいるわけでもなく、元気は元気なのに生産的なことを何一つしていない、という状態でした。

もっと言うと、「生きる理由がなくてつらい」という感覚すらありませんでした。理由がないことを苦にする余裕も、たぶんなかったんだと思います。理由の不在が問題として立ち上がるのは、それを考えるだけの体力があるときなんだな、というのがこのときの実感です。

3. 減っていったのは気力ではなく残高だった

ただ、何も減らなかったわけではありません。減ったのはお金です。

生活水準を変えなかったので、月20万円くらいのペースで貯金が減りました。遊びに出ていないので使途はほぼ固定費なのですが、それでも減るものは減ります。詳しい内訳は次を決めずに辞めて4か月、お金は実際どう減ったかに書きました。

ここが正直なところだと思っていて、理由がなくても人は生きていられますが、お金がないと生きていられません。「生きる理由は必要か」という問いに実験で答えようとすると、必ず貯金という前提条件がくっついてきます。私が4か月平穏に過ごせたのは、精神が強かったからではなく、口座に残高があったからです。

なので、この記事を「理由なんてなくても大丈夫」という励ましとして読まれると困ります。私の場合は条件付きで大丈夫だった、というだけの話です。

4. 「理由がないと生きられない」の正体

4か月やってみて思ったのは、「理由がないと生きられない」というのは、たぶん順番が逆だということです。

理由がないから苦しくなるのではなく、苦しいときに理由を探し始めるんだと思います。私が生きる意味について本気で悩んだのは、就職活動がうまくいかなかった時期と、上司との関係で潰れかけた時期でした。どちらも、まず状況の方が悪かった。理由の不在は、その後から出てきた説明です。

無職期間はその逆でした。状況としては世間的にかなり悪いはずなのに、上司もいないし締切もないので、日々は平穏でした。そして平穏だったので、理由を探す必要がありませんでした。

理由が必要になる人は、理由が足りないのではなく、今いる場所がしんどいのではないでしょうか。少なくとも私の場合、しんどさの方を先に外したら、理由の話は勝手に静かになりました。

5. 理由は、探しに行かなかった方から戻ってきた

2か月ほど経った頃、さすがに飽きてきて就職活動を再開しました。この「飽きた」という動機がすべてで、崇高な理由が降ってきたわけではありません。

しかも、探し始めた当初は一次産業なども真面目に見ていたのですが、結局はそれまでと同じ人工知能や機械学習の分野で会社を探しました。理由を新しく作るどころか、元の場所に戻っています。

それでいて、そのとき入ったベンチャーでの仕事が、後になって自分の考え方を大きく変えました。理由を決めてから動いたのではなく、理由もなく動いた先に後から意味がついた形です。この話は「生きる意味なんてない」からこそ選べる、自由な生き方に書きました。

だから今は、理由は前もって用意しておくものではなく、後から振り返って見つかることの方が多いと思っています。事前に立派な理由を作ろうとすると、たいてい他人の基準から借りてくることになるので、あまりうまくいきません。

6. まとめ

生きるのに理由は必要か。私が4か月試した範囲では、必要ありませんでした。ただしそれは、生活が成り立っている限りにおいて、という条件付きです。

そして、理由がないこと自体はそれほど問題ではなく、問題なのはたいてい今いる状況の方でした。理由が見つからなくて苦しいと感じているなら、理由を探す前に、何がしんどいのかを先に見た方が近道かもしれません。私はそれを、辞めてみるという乱暴な方法で確かめました。

なお、これは私一人の経験です。気分の落ち込みや不調が続いている場合は、考え方を変えようとするより、医療機関などの専門家に相談する方が確実だと思います。私自身も当時は診断を受けたうえで仕事を離れています。

意味が決まらないまま日々を過ごすことについては生きる意味なんかなくても毎日は回るに、悩み始めてから考え方が変わるまでの全体像は生きる意味に悩む人に伝えたいことに書いています。

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