「生きる意味って何?」「自分はなんのために生きているの?」そんな疑問、一度は頭をよぎったことがある人も多いんじゃないでしょうか。特に20代から30代にかけて、仕事や人間関係に悩んだり、将来への不安を感じたりする中で、ふと立ち止まって考えてしまうことがありますよね。
私の場合、その答えを見つけるまでに、大手企業からベンチャー企業への転職や、様々な経験を経ることになりました。そして最終的に、意外な結論にたどり着いたんです。
この記事では、私が経験した「生きる意味」への疑問と、それを通じて見つけた答えについて、できるだけ率直に書いていきたいと思います。もしかしたら、あなたの「生きる意味」探しのヒントになるかもしれません。
20代半ばで突然襲ってきた「生きる意味」への疑問
正直、こんなタイトルで記事を書くのは恥ずかしい気もしますが、私自身20代半ばから30歳手前まで、この「生きる意味」というものにガッツリ悩んでいた時期があったんです。だから、同じように悩んでいる人がいるなら、私の経験が少しでも参考になればいいなって思って、筆を取ることにしました。
まぁ、私の場合、「生きる意味」への疑問が突然襲ってきたきっかけは、あの忌まわしい就職活動でした。私って、自分を売り込むのがめちゃくちゃ下手くそなんですよ。面接官の前に立つと、急に舌が回らなくなって、「私の長所は…えーっと…」なんて言いながら、頭の中が真っ白になるタイプです。
そんな状態で就活を続けていると、だんだん「自分って社会から必要とされてないんじゃ…」って思い始めちゃうんですよね。で、そこから「じゃあ私って何のために生きてるんだろう?」みたいな考えに発展していくわけです。
この時期、毎日のように「生きる意味」について考えまくっていました。電車の中でも、お風呂の中でも、寝る前も。もう、頭の中は「生きる意味」オンリーです。友達と飲みに行っても、「お前らって何のために生きてるの?」なんて聞いちゃって、ドン引きされたこともありました(笑)。
でも、考えれば考えるほど、答えが出ないんですよね。むしろ、「そもそも生きるって何?」「生命活動を維持してるだけじゃん」みたいな、どんどん根源的な疑問に行き着いちゃって。最終的に、「生きることに意味なんてないんじゃね?」っていう結論にたどり着いちゃったんです。
この結論、今考えると当たり前っちゃ当たり前なんですけど、当時の私にとっては衝撃的でした。だって、「生きる意味」を必死で探してた人間が、「意味なんてない」っていう結論に納得しちゃったわけですからね。
でも、そこで終わりじゃなかったんです。むしろ、そこからが本当の「生きる意味」探しの始まりだったのかもしれません。
結局、就活も何とか乗り越えて、大学も卒業して、普通に会社員として働き始めました。でも、心の奥底では常に「生きる意味」への疑問が渦巻いていたんです。それが表面化するのは、もう少し後のことでした。
皆さんの中にも、似たような経験をした人がいるんじゃないでしょうか? 「自分だけがこんなことで悩んでる」なんて思ってる人もいるかもしれません。でも、安心してください。私みたいなヤツもいるんですから(笑)。
次の章では、私がどうやってこの悩みと向き合っていったのか、そしてどんな答えにたどり着いたのかをお話しします。特に、大手企業からベンチャー企業に転職したことが、大きなターニングポイントになったんです。
大手企業からベンチャー企業へ
前章では20代半ばで「生きる意味」への疑問に突き当たった話をしました。でも、そこから数年間は、その疑問を心の奥底に押し込めて、普通のサラリーマン生活を送っていました。
ところが、20代後半に入ったころ、またこの疑問が頭をもたげてきたんです。きっかけは、職場でのトラブルでした。
当時勤めていた会社の上司が、ちょっとしたパワハラ野郎だったんですよ。毎日のように怒鳴られて、「お前は何もできない」みたいなことを言われ続けて…。まぁ、典型的なブラック上司ですね。
そんな環境で働いてると、だんだん自信がなくなってくるんです。「自分って本当に何もできないんじゃないか」「こんな自分が生きている意味あるのか」って。
ある日、会社から帰る途中で急に涙が止まらなくなったことがありました。家に帰ってシャワーを浴びようとしたんですけど、立っているのもしんどくて、バスタブに座り込んだまま、頭からシャワーを浴び続けてました。その時、ずっと「自分は一体何がしたいんだろう」って考え続けてたんです。
結局、適応障害で休職することになりました。一度は復職したんですが(なぜか同じ上司の下に…)、数ヶ月で限界が来て、転職先も決めずに退職しちゃいました。
その後、ニート生活を送りながら、「自分は何をしたいんだろう」ってことをひたすら考えました。農業とか漁業とか、全く違う分野に飛び込むのもアリかなーって思ったり。自転車が趣味だったので、自転車関連の仕事をしようかなーって考えたこともありました。
でも、2ヶ月くらいニートしてると、さすがに焦ってきて。結局、今までやってきた人工知能・機械学習の分野で仕事を探すことにしました。
そして、ここからが転機です。
たまたま見つけたベンチャー企業に入社することになったんです。正直、最初は不安しかありませんでした。だって、大手企業から、社員数30人くらいのベンチャーに転職するわけですからね。
でも、この選択が、私の「生きる意味」への考え方を大きく変えることになるとは、その時は想像もしていませんでした。
入社してすぐに関わった仕事が、まさにベンチャーらしい案件でした。お客さんはいるし、プロジェクトは始まってるのに、具体的に何をするかは全然決まってない。そんなカオスな状況だったんです。
私は元々心配性なので、このままじゃ絶対炎上すると思って、必死で案件のゴール設定や検証すべきことを整理していきました。機械学習エンジニアとして入社したのに、最初の数週間はずっとパワーポイントと格闘してましたね(笑)。
結果的に、その案件は多少のプチ炎上はあったものの、なんとか形にすることができました。そして、このときに初めて経験したんです。「自分の思った通りにやりたいことをやっただけ」なのに、「結果としておおよそ上手くいった」ということを。
これが私にとっては衝撃的な経験でした。今まで大手企業で「言われたことをきちんとこなす」ことが仕事だと思っていた私にとって、「自分の思った通りにやる」ことが認められ、しかもそれが成果につながるという経験は、価値観を大きく変えるものでした。
この経験を通じて、「自分は自分の思った通りのことをやってもいいんだ」「自分は自分のままでいいんだ」という感覚を得ることができました。
そして、この「自分をそのまま受け入れる」という感覚が、私のアイデンティティの確立につながっていったんです。
次の章では、この経験を通じて、私が「生きる意味」についてどんな考えに至ったのかをお話しします。
「生きる意味」なんてなくていいんじゃない?
ここまで私が「生きる意味」に悩み、ベンチャー企業での経験を通じて自分のアイデンティティを確立していった話をしてきました。で、結局「生きる意味」ってなんだったの?って思う人もいるかもしれません。
結論から言うと、「生きる意味なんてない」んです。
え?さっきまで「生きる意味」を探し求めてた人間が、なんで突然そんなこと言い出すんだ?って思いますよね。でも、これこそが私がたどり着いた答えなんです。
ちょっと説明させてください。
私がベンチャー企業で経験したことは、「自分の思った通りにやってもいい」ということでした。これは言い換えれば、「自分で決めていいんだ」ということです。
そう考えたときに、ふと思ったんです。「生きる意味」も、自分で決めていいんじゃないか?って。
そもそも、生きることに「意味」なんてあるの?人間って、生まれたときから「あなたの人生の意味はこれです」みたいなものを与えられてるわけじゃないですよね。むしろ、そんなものがあったら息苦しくないですか?
例えば、仮に「あなたの人生の意味は世界平和を実現することです」って言われたとして。でも、あなたは平和活動に全く興味がなかったとしたら?それでも「生きる意味」だからって無理してやらなきゃいけないの?
もしくは、「あなたの人生の意味は素晴らしい芸術作品を作ることです」って言われたとして。でも、あなたは絵を描くのも音楽を作るのも全然ダメだったとしたら?それでも頑張らなきゃいけないの?
そう考えると、そもそも「生きる意味」なんて最初から与えられてるわけないんじゃない?って思えてきませんか?
だから、「生きる意味なんてない」んです。でも、これって悲観的な結論じゃないんです。むしろ、すごく自由な考え方だと思うんです。
だって、「生きる意味」がないってことは、逆に言えば「自分で決めていい」ってことですからね。
自分の「生きる意味」を、自分の好きなように決められるんです。今日は「美味しいものを食べることが生きる意味だ!」って決めてもいいし、明日は「人を笑顔にすることが生きる意味だ!」って決めてもいい。
場合によっては、毎日違う「生きる意味」を設定してもいいんです。だって、自分で決めるんだから。
これって、すごく自由で、かつ責任のある考え方だと思うんです。自分の人生の意味を、誰かに決めてもらうんじゃなくて、自分で決める。そして、その決めた「意味」に向かって行動する。
もちろん、「じゃあ何を生きる意味にすればいいの?」って悩む人もいると思います。それはそれで全然OKです。悩むこと自体が、自分の「生きる意味」を探す旅なんだと思えばいいんじゃないでしょうか。
私の場合は、今は「自分の仕事を通じて、世の中をちょっとでも便利にすること」を自分の「生きる意味」にしています。でも、これも絶対的なものじゃありません。もしかしたら、来年には違う「意味」を見つけているかもしれません。
そして、そういう風に「生きる意味」を自分で決めていいんだ!って思えたのは、ベンチャー企業での経験があったからこそだと思うんです。
自分の考えを信じて行動する。その結果、たとえ失敗したとしても、それは次につながる経験になる。そんなことを学べたからこそ、「生きる意味」も自分で決めていいんだ!って思えるようになったんです。
だから、もし今「生きる意味」に悩んでいる人がいたら、こう言いたいです。
「生きる意味」なんて、最初からないんだよ。でも、それってすごく自由なことなんだ。だから、自分の好きなように「生きる意味」を決めてみよう。そして、その「意味」に向かって行動してみよう。もし違うなって思ったら、また別の「意味」を探せばいい。
そうやって、自分の「生きる意味」を探し続けること。それ自体が、実は一番の「生きる意味」なのかもしれません。
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