数字を見るのが好きな人ほど、集めるところで止まりがちだと思っています。
自分がそうでした。このブログのアクセス解析を毎週のように眺めていた時期があるのですが、そのあいだ記事の中身は一つも直していません。どの記事が読まれていて、どこで離脱しているかは分かっていました。分かったうえで、何もしていませんでした。
眺めているときは、何かをやっている感覚があります。実際には何も変わっていないのですが、情報は増えているので進んでいる気がします。
この記事では、集める側で止まる人と、そこから動く人が何で分かれるのかを書きます。データそのものが使える状態になっていない問題は集めるだけのデータはゴミと同じ──活用しなければ意味がないに分けました。
目次
1. 集めるのは安全で、使うのは怖い
なぜ収集で止まるのか。理由は単純で、集めている限り間違えないからだと思います。
データを見ている段階では、まだ何も決めていません。決めていないので、外れることもありません。「もう少し材料を集めてから」と言っている限り、その判断は安全です。
一方、集めたものを使って何かを決めると、その決定は当たるか外れるかのどちらかになります。外れれば、判断が悪かったことが分かります。この差が、行動の分かれ目になっている気がします。
案件でも同じことが起きます。現状分析のフェーズが妙に長引くプロジェクトは、たいてい次の判断をしたくないからです。調査を続けている間は、誰も責任を取らずに済みます。
「調べました」で終わる報告についても同じ構造があって、そちらは「調べました」で終わる報告は、まだ何も報告していないに書きました。
2. 差その1:先に問いがあるかどうか
一番大きな差はここだと思っています。
止まる人は、データを見てから何が分かるかを考えます。動く人は、何を知りたいかを決めてからデータを見ます。
順番が違うだけに見えますが、結果はかなり違います。前者だと、見終わったときに出てくるのは「いろいろ分かった」という感想です。どれも興味深いのですが、どれも行動につながりません。判断に必要な情報だけを選ぶ基準がないので、全部が同じ重さで並びます。
後者だと、見る前から「この数字がこうなっていたらこうする」が決まっています。だから見た瞬間に次が決まります。
私のブログの例でいうと、「どの記事が読まれているか」を眺めていたのは前者です。眺めた結果として何をするのかを決めていませんでした。「離脱率が一定以上の記事は導入文を書き直す」と先に決めておけば、見た時点で作業が発生していたはずです。
問いを先に立てるのは、実は面倒な作業です。何を知りたいのかを言語化する必要があるので、漫然と数字を眺めるより疲れます。だから省かれます。
3. 差その2:足りないまま動けるかどうか
二つ目は、情報が揃っていない段階で動けるかどうかです。
完璧な材料が揃うことは、実務ではまずありません。どこかで「これ以上待っても大きくは変わらない」と判断して動く必要があります。
止まる人は、この線を引けません。というより、引く基準を持っていません。だから「もう少し」が続きます。前述の通り、待っている限り間違えないので、待つ方が心理的に楽だという事情もあります。
動く人は、足りない部分を認識したうえで動きます。ここが重要で、無視して突っ走るのとは違います。「この部分は分かっていないので、外れる可能性がある」と分かったうえで決める。だから外れたときにも、どこが原因かを特定できます。
これは機械学習の案件で試行を打ち切る判断とも似ています。「あと少し試せば良くなるかもしれない」が止まらない構造は機械学習プロジェクトにおける予算管理の成功要因に書きましたが、あれも本質的には同じ問題です。止める基準を先に決めていないと、いつまでも続きます。
4. 差その3:外れた後に戻ってくるかどうか
三つ目は、動いた後の話です。
判断して、動いて、外れる。ここまでは誰にでも起きます。差が出るのは、その後で結果を見に行くかどうかです。
外れた判断の結果を見に行くのは、率直に言って気が進みません。うまくいかなかったことを自分で確認する作業だからです。だから、動いた後に振り返らないまま次に行く、ということが起きます。
ただ、ここを飛ばすと、動いたこと自体が経験になりません。集めて、決めて、動いて、結果を見て、次の判断を変える。この一周が回って初めて、次の精度が上がります。一周目で止まると、次も同じ精度で判断することになります。
私が案件で残すようにしているのも、この一周分の記録です。見積もりがどれだけ外れたか、問題に気づくのが何日遅れたか。これを残しておくと、次に似た場面が来たときに具体的に判断できます。詳しくはITプロジェクトマネジメントの基本知識と実践方法に書きました。
5. 止まっていることに気づく方法
厄介なのは、収集で止まっているときに、本人はそれを自覚しにくいことです。情報は増えているので、進んでいる感覚があります。
自分で確認するのに使っている基準を書いておきます。
そのデータを見て、直近で何を変えたか。 何も思い浮かばないなら、見ているだけです。私のブログの話でいうと、数か月分の解析を見ていて、変えたものが一つも無い時期がありました。その時点で気づくべきでした。
もし今日そのデータが消えたら、困るか。 困らないなら、そのデータは判断に使われていません。集めることが目的になっている可能性が高いです。
次に見るのはいつで、そのとき何を判断するか。 これが決まっていないなら、次も眺めるだけになります。
三つとも、「集めたかどうか」ではなく「使ったかどうか」を聞いている点が共通しています。
6. まとめ
集める側で止まる人と、そこから動く人の差は、次の三つだと思っています。
- 先に問いがあるか。 データを見てから考えるのではなく、何を知りたいかを決めてから見る。
- 足りないまま動けるか。 完璧な材料は揃わない。足りない部分を認識したうえで決める。
- 外れた後に戻ってくるか。 結果を見に行かないと、動いたことが経験にならない。
そして、この三つのどれもができていなくても、集めている限りは間違いになりません。そこが一番厄介なところだと思います。私自身、解析画面を眺めていた時期は、自分が何もしていないと思っていませんでした。
データそのものが使える状態になっていない問題は集めるだけのデータはゴミと同じ──活用しなければ意味がないに、精度が出たのにビジネスが動かないという別の失敗の仕方は精度目標は達成したのに、モデルは誰にも使われなかったに書きました。