生きる意味がわからないとき

私は20代後半〜30代前半にかけて「生きる意味なんてないんじゃないか」と真剣に悩んでいる時期がありました。毎日同じような日常の繰り返し。朝起きて、会社に行って、帰ってきて、寝る。休日も特に変わりばえのしない過ごし方。「これって本当に意味があるのかな?」そんな疑問が頭をよぎるようになったんです。

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「生きる意味なんてない」と思ってしまうときの正体

最初は一時的な気分の落ち込みだと思っていました。でも、日に日にその感覚は強くなっていきます。仕事のモチベーションは下がり、趣味にも興味が持てなくなりました。友人との会話も表面的なものに感じられ、心の奥底では常に「これって何のため?」という問いが渦巻いていたのです。

そして、ついに限界がきました。ここ最近、情緒が不安定になり、仕事のことを考えるだけで動悸や息切れが起きるようになったんです。明らかに異常な状態でした。

思い切って心療内科に行ってみると、適応障害と診断されました。医師からは「まだうつ病まではいっていないが、このまま業務を継続するとうつ病になるだろう」と言われ、休職を勧められました。

正直、ショックでした。でも同時に、「やっぱり」という気持ちもありました。自分の中で何かがおかしいと感じていたので、それが医学的に裏付けられた感じがしたんです。

会社と話し合い、しばらく休職することになりました。自分の健康や人生を犠牲にしてまで業務を継続するのは馬鹿らしいと思ったからです。でも、いざ実際に自分が休職する側の立場になってみると、後任の方への罪悪感が半端なかったです。

特に、よく知っている人が後任になると聞いて、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。ただでさえスケジュールが厳しい案件なのに、その途中で担当が交代になるなんて…。後任の方まで休職に追い込まれてしまうんじゃないかと心配で仕方ありませんでした。

この経験を通じて、「生きる意味なんてない」と思ってしまうときの正体が少し見えてきました。それは、自分の価値観と現実のギャップ、そして自己否定の連鎖だったんです。

社会的な成功や仕事での評価を重視するあまり、自分の本当の気持ちや健康を無視してきた。そのギャップが大きくなりすぎて、適応障害という形で現れたんだと思います。

そして、休職することになった今、新たな自己否定の連鎖が始まっています。「休んでいいのか」「迷惑をかけてしまって申し訳ない」という思いが、さらに自分を追い詰めているんです。

でも、ここで気づいたんです。「生きる意味」を見失うのは、こうした自己否定の連鎖の中にいるときなんだと。

だからこそ、今は自分と向き合う時間が必要なんだと思います。自分の価値観を見つめ直し、本当に大切にしたいものは何なのかを考える。そして、自己否定の連鎖から抜け出す方法を見つける。

それが、「生きる意味」を取り戻す第一歩になるんじゃないでしょうか。

皆さんも、「生きる意味なんてない」と感じることがあるかもしれません。そんなとき、ぜひ自分と向き合ってみてください。そして、必要であれば休息を取ることも大切です。自分の健康を守ることが、結局は周りの人たちのためにもなるんだということを、私は身をもって学びました。

みんなが密かに抱えてる「人生の目的」への疑問

「人生の目的って何だろう?」この疑問、実は多くの人が密かに抱えているんじゃないでしょうか。

私も長い間、この疑問に悩まされてきました。学生時代は「いい大学に入ること」が目的でした。就職してからは「出世すること」が目的になりました。でも、その目的を達成しても、なぜか満たされない。むしろ、「これで良かったのか?」という疑問が大きくなるばかり。

そんな経験、皆さんにもありませんか?

実は、この「人生の目的への疑問」は、人間として極めて自然なものだと思うんです。だって、私たちは単なる動物じゃありません。考える力を持ち、自分の存在意義を問う能力がある。それこそが人間の特徴であり、強みなんじゃないでしょうか。

でも、その強みゆえに悩んでしまうのも事実です。

私の場合、この疑問から逃げるために、忙しさに身を投じていた時期がありました。仕事に没頭し、休日も予定でいっぱいにする。そうすれば、考える時間がなくなるだろうと。

でも、そんな生活を続けていると、ある日突然虚しさに襲われたんです。「これって本当に自分がやりたいことなのかな?」という疑問が、頭から離れなくなりました。そして、ついに身体が悲鳴を上げました。

情緒不安定になり、仕事のことを考えるだけで動悸や息切れが起きるようになったんです。心療内科で適応障害と診断され、休職することになりました。

この経験を通じて、「人生の目的」について新たな視点を得ることができました。

まず、「目的」を固定的なものとして捉えるのではなく、日々の選択と行動の中で常に更新されていくものだと考えるようになりました。

例えば、休職することになって初めて、「健康であること」の大切さに気づきました。それまでは当たり前すぎて、目的として意識したことがなかったんです。

また、後任の方への罪悪感を通じて、「人とのつながり」の重要性も再認識しました。一人で頑張るのではなく、互いに支え合うことの大切さを痛感したんです。

さらに、自分がアダルトチルドレンの傾向があることに気づいたことで、「自己理解」という新たな目的も生まれました。自分自身をより深く理解し、それに基づいて生き方を選択していくこと。それも人生の大切な目的の一つになりました。

このように、「人生の目的」は一つではなく、複数あっていいんだと思うようになりました。しかも、それは常に変化し、更新されていくもの。だからこそ、定期的に自分と向き合い、今の自分にとっての「目的」を見つめ直すことが大切なんだと気づきました。

もちろん、まだ全てが解決したわけではありません。休職中の今も、「このまま会社に戻れるのか」「サラリーマンとしてやっていけるのか」という不安は尽きません。

でも、そんな不安も含めて「今の自分」なんだと受け入れられるようになりました。そして、これらの疑問に向き合うこと自体が、新たな「人生の目的」になっているような気がします。

皆さんも、「人生の目的」に悩んでいるなら、ぜひ自分の人生を「組み立て直す」ことを試してみてください。自分の価値観を見つめ直し、小さな目標を立て、行動する。そうすることで、きっと新しい視点が得られるはずです。

そして、その過程で立ち止まることも、休むことも大切だということを忘れないでください。時には、「休むこと」自体が目的になることだってあるんです。

人生の目的は、与えられるものではなく、自分で見つけ出すもの。そう考えると、少し肩の力が抜けませんか?

そもそも解決できるものなのか?

「生きる意味」や「人生の目的」。これらの問いは、そもそも解決できるものなのでしょうか?

正直に言うと、私にもはっきりとした答えはありません。でも、この問いと向き合う中で、いくつかの気づきがありました。それを皆さんと共有できたらと思います。

まず、「解決する」という言葉自体に引っかかりを感じます。「生きる意味」や「人生の目的」は、数学の問題のように一つの正解があるわけではないんです。むしろ、常に変化し続ける、流動的なものだと私は考えています。

私の経験を少し話させてください。

つい最近まで、私は「仕事で成功すること」が人生の目的だと信じていました。良い会社に就職し、高い地位を得る。そんなキャリアパスを思い描いていたんです。

でも、実際にその道を進んでいくうちに、違和感を覚えるようになりました。確かに、周りからの評価は高くなりました。でも、心の中はむしろ空虚になっていったんです。

そして、ついに身体が限界を迎えました。情緒不安定になり、仕事のことを考えるだけで動悸や息切れが起きるようになったんです。心療内科で適応障害と診断され、休職することになりました。

この経験を通じて、私の「人生の目的」は大きく変わりました。「仕事で成功すること」から「健康で幸せに生きること」へ。

でも、それで全てが解決したわけではありません。

「健康で幸せに生きる」といっても、具体的に何をすれば良いのか。どこまでやれば十分なのか。新たな疑問が次々と湧いてきました。

そんな中で気づいたのは、「生きる意味」や「人生の目的」は、一度見つければそれで終わり、というものではないということです。

むしろ、常に問い続け、考え続けることに意味があるのではないか。そう思えるようになりました。

ある哲学者の言葉を借りれば、「答えを見つけることよりも、問い続けることに意味がある」のかもしれません。

実際、「生きる意味」を考えることで、自分自身をより深く理解できるようになりました。自分の価値観や、大切にしたいものが明確になっていったんです。

例えば、今回の休職を通じて、自分がアダルトチルドレンの傾向があることに気づきました。これは、自分自身を理解する上で非常に重要な発見でした。

また、この問いと向き合うことで、日々の生活がより豊かになった気がします。

例えば、朝起きたときに「今日は何のために生きるんだろう」と考えてみる。すると、その日一日の過ごし方が変わってくるんです。

ちょっとした親切や、新しいことへのチャレンジ。そんな小さな行動の一つ一つに、意味を見出せるようになりました。

もちろん、悩むこともあります。時には「やっぱり分からない」と落ち込むこともあります。

特に、休職中の今は「このまま会社に戻れるのか」「サラリーマンとしてやっていけるのか」という不安が尽きません。場合によっては、キャリアの大きな転換を考えなければならないかもしれません。

でも、そんなときこそ、この問いについて誰かと語り合うのも良いかもしれません。友人や家族と、「生きる意味」について話し合ってみる。きっと、新しい視点が得られるはずです。

結局のところ、「生きる意味」や「人生の目的」は、完全に解決できるものではないのかもしれません。

でも、だからこそ面白いんじゃないでしょうか。

答えのない問いに向き合い続けること。それ自体が、人生を豊かにする一つの方法なのかもしれません。

皆さんも、ぜひこの問いと向き合ってみてください。答えが見つからなくても大丈夫です。問い続けること自体に、大きな価値があるはずです。

そして、その過程を楽しんでみてください。きっと、あなたの人生がより豊かになるはずです。

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