心が折れた後の話

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心が折れると立ってすらいられない

私はあまり挫折らしい挫折をしたことはなかったのですが(認識できていなかっただけかもしれませんが)、一度だけ「あ、心が折れたな」ということがありました。

心が折れた当日は、正直言ってかなりひどい状態というか、過去に経験したことのない精神状態になっていました。本当にメンタルがやられると、まともに立っていることも難しいんですね。

具体的な話になりますが、私は普段はお風呂に入る時、浴槽にはお湯を張らずにほぼシャワーだけで終わらせます。その日も当然同じにようにシャワーをしようとするのですが、まともに立っていられないくて、シャワーを出したまま浴槽の中に体育座りのような感じで座り込んでしまいました。

そのまま、シャワーを頭から浴び続けながら、「あ”ー」とか「う”ー」みたいに言葉にならない言葉をしばらく断続的に発し続けて座り込んだままでした。

意外と客観的な自分もいる

ただ、どう見てもおかしい状態なのに、一方で客観的に自分のことを見ることもできていて「あ、人間が壊れるときっていうのはこういう感じなんだな」ということも分かった瞬間でした。

さて、その翌日以降ですが、精神状態は意外とスッキリしているというか、思ったよりどんよりとした気分は残っていないように思います。当然、朝会社に向かうときはかなり憂鬱な気分ではありますが。

ただ、ひとつ変わったのは「もう、すべてがどうでもいい」という心境になりつつあるということです。仕事については、今のプロジェクトが上手くいこうが失敗しようがどうでもいいと思っています。遊びに関しても、あれほど好きだったロードバイクも自分で積極的に走りに行きたいと思う気分はほぼ無くなっています。友人に誘われれば行く程度です。

最初は意外とスッキリしていたので「号泣して感情を発散できたのかな?」とか思っていましたが、実際のところはやはり心が折れてしまっていて、色々と諦めの境地に入っているんだろうなと思っています。

仕事についても、もし今上司に「辞めろ」と言われたら、「はーい、辞めまーす」と気軽に言えるだろうなと思います。その程度にはどうでもよくなっている気がします。

これまた、以前やりたいことについて考えたときにぼんやりと頭にはあったのですが、今の仕事に対しては基本的に興味が無いんだろうなとも思い始めています。2年ほど前までは平日でも休日でも、ITの技術書を読んだり人工知能に関する論文を読んだりと、何かしら勉強しようというモチベーションは多少はあったのに、ここ1年ほどはまったく勉強していません。

今回心が折れたのを気に、自分がどう生きていきたいのかを考えたときに、やっぱり「人を楽しませたい」「人を喜ばせたい」という生き方をしたいのだろうなと思い始めるようになりました。もちろん、人によってはシステム開発の仕事でもそれが実現できる人もいるのでしょうが、私の場合にはすでに興味を失ってしまっているので、やはり転職すべきなんだろうなという方向性で考えて始めています。そういう、今の仕事への諦めといった感情も合わさって、意外とスッキリとした気分になっているのだと思います。

今回、ストレスなどから精神面がやられた経験はなかなか辛いものですが、今後の生き方を見直す上では、ある意味でいいきっかけだったのかもしれません。もし、仕事で色々と悩んでいる方がいるようでしたら、自分がどうやって生きていきたいのか、もう一度立ち止まってゆっくり考えてみてはどうでしょうか。真剣に考えると、意外と見えてこなかったものも見えてくるんじゃないかなと思います。

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