自分の欠点が実はやりたいことなのかもしれない

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コミュ障害ゆえの強迫観念

私は、ずっと前から自覚している欠点がひとつあります。いやまぁ欠点自体は沢山あるんですけど、その中でも対人関係に大きく影響するものです。

友人とか知人を遊びや食事に誘うときに、「自分から誘ったんだから、相手に楽しんでもらえるように頑張らないといけない」ということを考える人はいるでしょうか。私はそういうことを考えてしまうタイプです。コミュ障の人には分かってもらえることもあるんじゃないかと思います。自分が誘われる場合にはまったく気にしないのですが、自分が人を誘うときはそのように考えてしまうんですね。「相手の時間を自分のために使わせるんだから、その価値があったと思えるだけの時間を提供しないといけない」という感じです。

この考えは、悪い意味で大きく人間関係に影響してしまっている欠点だと思っています。もともとひとりでいることはそれ程嫌いではないのですが、やっぱりたまには友人と遊びに行きたくもなります。でも、そういうときにこの考えが頭によぎってしまい、結局人を誘えずじまいになってしまうんですね。

この性質があるせいで、友人どころか知人さえもロクに増えません。仕事で一緒に仕事をすることになった人でも、「どうせこの仕事が終わったらもう会うことも無いんだし…」という感じで「一緒に仕事をしている人」以上の人間関係に発展することはまずありません。

この話をたまたま知り合いにしたときに「強迫観念で生きてるよね」と言われたことがありました。確かにこの件だけではなくて、「〇〇しないといけない」という考えは自分の中でかなり持っているような気がします。例えば、待ち合わせには絶対に遅れてはいけないと思っているので、待ち合わせ時間の30分程度前には到着することが多いです。また、最近のストレス・休職に関連することだと、人に弱みを見せてはいけないというような価値観も持っていると思います。

人を楽しませることは好きなのかもしれない

この性質を今までは完全に欠点としか見ていなかったのですが、ふと「これって見方を考えたら長所になったりしないのかな?」と思って、この性質について少し考えてみました。

結論から言うと長所にはなりませんでした。むしろ、考えれば考えるほど、この強迫観念はかなり自分にプレッシャーを与えてしまっているだけなんだろうなと考えるしかない気がするようになってきました。

ただ、ここからタイトルの内容になります。

たしかに長所にはならなさそうなのですが、「自分のやりたいことの本質ってここにあるのかな?」という方向性が見えてきた気がします。それは、「自分が人を誘うときは、相手を楽しませないといけない」という強迫観念は、裏を返せば人間関係の中で「相手を楽しませる」ことはかなり重要なことだと無意識に考えているんだろうなということです。

相手を楽しませることが得意かどうかでいえば、たぶん苦手な部類だろうなとは思います。でも、無意識に人を楽しませることが重要だと思っているのであれば、それを仕事にすれば意外とそれが天職になるのかな?という気がします。人を楽しませる仕事というのが何があるのかはまだ分かりませんが、その辺はまた今度考えてみたいと思います。

最近、また転職を考えていますが、この辺りから次の仕事を考えてみると意外と早く転職を見つけることができるかもしれませんね。とりあえず、そういったものが無いか転職サイトで探してみたいと思います。

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