世の中には、自分で考えることを放棄して「正解」を探すことだけに必死な人がいます。学校教育の影響なのか、誰かに教えられた答えをなぞることには長けているのに、自分で選んで、自分で責任を負うことは極端に苦手。
私自身、かつてはその一人でした。何かを決めるたびに「これで合っているのか」と不安になり、上司や同僚の意見を正解だと信じて従うばかり。けれども、人生においては模範解答など存在しない場面の方が多い。そう気づいたとき、自分の弱さと向き合わざるを得ませんでした。
この記事では、私が経験した「正解依存症」の姿と、そこから学んだことを少し皮肉を込めて綴ってみたいと思います。
目次
- はじめに:正解信仰という病
- 「正解依存症」の特徴
- 正解は存在しない領域での無力さ
- 「正解」を探す人が嫌うこと
- 正解探しがもたらす悲劇
- 「自分で正解にする」という態度
- まとめ:正解を探す人と、正解をつくる人の分かれ道
1. はじめに:正解信仰という病
社会人になってから気づいたことがあります。学生時代のテストでは「正解を当てる力」が評価されましたが、仕事や人生ではその正解がどこにも書いていない。にもかかわらず、大人になっても「正解を探すこと」ばかりに執着する人は意外と多いのです。
私自身、若い頃はその一人でした。とにかく「正解を外すのが怖い」から、自分の頭で考えるよりも、誰かが敷いた道をなぞる方を選んでいたのです。
2. 「正解依存症」の特徴
私の元部下にも典型的な例がいました。与えられたタスクに対して「これで合っていますか?」と何度も確認してくる。自分で判断して進めるより、答えを上司から引き出すことに必死。
その姿を見て、昔の自分を思い出しました。教科書通りの「模範解答」を追い求めるばかりで、自分の頭で考えることを放棄していた時期。便利に思えても、結局は思考停止の罠なんですよね。
3. 正解は存在しない領域での無力さ
正解依存型の人は、唯一の答えがない場面に弱い。例えば「どの戦略で進めるべきか」「どんな人材を採用すべきか」といった問題。私自身もかつて、こうした問いに答えられず、会議で黙り込んでしまった経験があります。
その時、「正解がないからこそ、自分で選び取らなければならない」という事実に気づくまで、ずいぶん時間がかかりました。
4. 「正解」を探す人が嫌うこと
自分もそうでしたが、彼らが一番嫌がるのは「責任を取ること」です。判断して間違えたら、非難を浴びるのが怖い。だから「上司が言ったから」「あの人が正しいと書いていたから」と言い訳できるようにしたい。
でも、結局それは「自分の人生を他人に委ねる」ということ。振り返れば、私が一番成長できなかったのは、まさにそうやって他人の判断に依存していた時期でした。
5. 正解探しがもたらす悲劇
「正解を待つだけの人」は動けない。昔の私もそうで、準備に準備を重ねて「もう少し情報が揃ったら」と言い訳して結局チャンスを逃したことが何度もありました。
行動しなければ、当然成果も出ない。やがて「環境が悪い」「指示が曖昧だ」と愚痴ばかりが増えていく。そうして時間だけが過ぎていくのです。
6. 「自分で正解にする」という態度
私が変われたのは、自分の選択を「正解にしていく」という考え方に出会ってからです。仕事で新しいプロジェクトを任されたとき、最初は恐怖しかなかった。でも「これを正解にするしかない」と腹をくくって動いたら、失敗も含めてすべてが経験になりました。
その時に学んだのは、選んだ瞬間に正解が決まるわけではなく、動き続けることで正解になっていくということです。
7. まとめ:正解を探す人と、正解をつくる人の分かれ道
いま振り返ると、「正解を探すしか能がなかった頃の自分」と「自分で正解をつくれるようになった今」では、見える景色がまるで違います。
正解を探す人は一生「答え待ち」のまま。正解をつくる人は、試行錯誤の末に自分の答えを育てていきます。その差は小さいようで、時間が経つほどに決定的な分岐点になるのです。
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